2017-11-30 第195回国会 参議院 予算委員会 第2号
硫黄島における戦没者の遺骨収集につきましては、戦没者数が約二万一千九百人でございますが、そのうち約一万四百柱が収容されておりまして、また、そのうち、先ほど先生がおっしゃいました滑走路周辺の地下ごうからも約三百柱の御遺骨が収容されております。
硫黄島における戦没者の遺骨収集につきましては、戦没者数が約二万一千九百人でございますが、そのうち約一万四百柱が収容されておりまして、また、そのうち、先ほど先生がおっしゃいました滑走路周辺の地下ごうからも約三百柱の御遺骨が収容されております。
あれから一年経過をいたしましたが、厚労省の統計によると、沖縄戦の戦没者数は十八万八千百三十六人、遺骨収容数は十八万七千三百七十四人。数字だけ見ますと、終息に向かっているように見えるわけですが、ところが、現在でも、開発が行われたらいまだに遺骨が発見される、ボランティアの人たちの努力で収集が継続している状態であります。
海外戦没者数は、おおむね二百四十万人と言われております。そして、今日までに復員や引き揚げ時に送還した遺骨を含めて日本に帰還した遺骨は、約百二十七万柱とのことでございます。このうち、遺骨収集帰還事業による収容遺骨数は約三十四万柱。
情報がなくたって、今おっしゃいました二千六百名の戦没者数がいらっしゃって、遺骨の収容が三百二十だったら、どう考えたって遺骨がいっぱいあるのは分かると思いますし、全然今のじゃ納得いかないです。つまり、情報がないから行かなかったということでよろしいですか。
アッツ島におきます戦没者数は約二千六百名でございまして、今までで収容いたしました御遺骨は三百二十柱、したがいまして、まだ収容されていない御遺骨は約二千二百八十柱となっております。
海外の戦没者数約二百四十万人、うち、既に日本にお迎えした御遺骨が約百二十七万柱、つまり、残りが、半分より少し少ない百十三万柱がまだ残されている状態です。そして、相手国の事情などで収集が困難なものを除きますと、約六十万柱がまだ帰還可能なのではないかというふうに言われている中で、ただ、来年、戦後七十年が経過をしてまいります。
支那事変以降の戦没者数は三百十万人、このうちの八十万人が民間人の犠牲者というふうに言われています。東京大空襲の犠牲者は十万人。 私の祖母、さっき祖父の話をしましたが、祖母は、大正十一年生まれ、東京の深川で生まれて育っています。東京大空襲で焼け出されて群馬県の伊勢崎に引っ越して、向こうで祖父と結婚をしました。
沖縄県の戦没者数は、今、宇都議員申されましたように、いわゆる民間人の方、軍属の方も含めて十万人が亡くなったと、それからいわゆる軍人の方々が約八万数千人、おおむね十九万人弱お亡くなりになったということでございます。
厚生労働省におきまして推計しております沖縄におきます戦没者数は、委員御指摘のとおり、十八万六千五百人でございます。また、収集いたしました遺骨につきましても、二十二年三月までに十八万六千三百九十五柱でございます。
硫黄島における戦没者数は二万一千九百人であり、これまでに八千七百十五柱の御遺骨を送還しているところでございます。残されました御遺骨の数は、約一万三千柱でございます。
沖縄での戦没者数等々は、今までいろいろなその資料等々でありますけれども、まあそこで一番分かりやすいといいますか、現実で見える平和の礎というのがございます。沖縄戦で亡くなった方のお一人お一人のお名前が刻まれているものでありまして、平成二十年、去年の六月二十三日現在で合計二十四万七百三十四人のお名前が刻まれております。
戦没者の数でございますが、海外、それから国内で戦闘が行われました沖縄、硫黄島を含めました戦没者数につきまして約二百四十万人と推計してございます。そのうち、軍人軍属の方々が約二百十万人、一般邦人の方々が約三十万人となっております。
○及川政府参考人 お答えに入ります前に、全般的な概況につきまして説明させていただきますと、沖縄における戦没者数につきましては、私どもとしまして約十八万六千五百人と推計してございます。これに対しまして、これまで、民間の方々による遺骨収集も含めて、国、沖縄県におきまして収集いたしました遺骨が十八万六千百四十二柱ということで把握してございます。
○阿部(知)委員 確かに大臣がおっしゃいますように、今私はフィリピンの例を挙げましたが、戦没者数が五十一万八千で、まだフィリピンは十三万三千の御帰還であり、三十八万四千九百四十が残る。しかし、それにまさるとも劣らないのが、中国の東北部等々の未帰還状況であります。そしてまた、おっしゃったように、韓国の方々が日本で亡くなられて、その御遺骨も我が国にある。
さらに、各戦域における戦没者数と御遺骨の収集数、海没遺骨も含めて教えていただきたいと思いますが、資料も提供いただきましたので、含めて御説明、御報告いただきたいと思います。
例えば、フィリピンにおきましては戦没者数が約五十一万八千人という中で御遺骨を収集できた数が十三万二千九百八十柱ということでございます。残りの地域につきましてもごらんのとおりでございますので、詳細な説明は省略をさせていただきます。 また、海没した御遺骨というのもあるわけでございまして、その数は約三十万人、そのうち収集をされました御遺骨は約五千柱というふうに考えております。
今、硫黄島におきまして、戦没者数は委員おっしゃっているように約二万余の方々でありまして、現在まで遺骨収集が四十六回実施されておりまして、八千三百八十三柱の遺骨が我が国の方に、我が国の方にといいますか、送還をされているわけであります。
第二次大戦での海外の戦没者数と、そしてまた遺骨収集の現状はどのようになっているのかということ。約半数の遺骨が収集されていないのではないかというふうに考えておりますけれども、いかがでしょうか。
○政府参考人(真野章君) パプアニューギニアでございますが、戦没者数は約十二万八千人というふうに推計をいたしておりまして、これまで十六回にわたりまして遺骨収集を行っております。これまで復員の方々が持ち帰られた遺骨も含めまして約四万九千二百柱の遺骨が本邦に帰ってこられているというふうに承知をいたしております。
この援護法による障害年金や特別弔慰金支給などについての改正案の審議に当たりまして、私が問題にしたいのは、第二次大戦で亡くなられた犠牲者の遺骨収集の問題で、先ほど戦没者数そしてまた遺骨送還数や残存遺骨数などについては既に答弁がされました。 今日までもう既に戦後五十四年過ぎております。
また、戦没者数でございますけれども、これは旧陸海軍の資料をもとに厚生省が昭和四十六年に取りまとめたものでございますが、約二万二千人、こういうふうに把握をいたしてございます。 また、戦傷病者数でございますけれども、これは大変恐縮でございますけれども、旧陸海軍の資料の中に、これは日本人も含めてでございますけれども、戦傷病についての記載は一般的にない、こういうことでございますので把握できておりません。
このうち戦没者数、亡くなられた方は約二万二千人であると把握をいたしてございますが、戦傷病者につきましては把握をいたしておりません。
文部省が検定した教科書に今書いてあるわけですが、「日露戦争は国民生活にあたえた影響も深刻であった」「この戦争を通じて動員された軍人軍属の総数約百三十万人、戦没者数約八万八千人、戦傷病者数約四十四万人、捕虜約二千人にたっした」、こういうふうに現在の教科書が記述している。